PEOPLE & WORK人と仕事

私が歩んだキャリア
── プロジェクトマネージャーへの道

多くの経験から、
チームで助け合いながら
仕事をする尊さを学ぶ

M.H.

株式会社ITマネジメントパートナーズ 
日本酸素グループ事業部 
アプリケーション運用サービス部 
運用サービス2課長

学生時代、情報系学科を専攻したにもかかわらず、コンピュータの授業にあまり興味を持てなかったM.H.が、当社に入社してプログラマになり、今ではプロジェクトマネージャーを担当している。
M.H.より遙かに短い期間でプロジェクトマネージャーになる人もいる。しかし、長かったプログラマ時代をはじめとする経験は、決して無駄ではなかった。そこでの多くの学びは、その後の彼女の自信と武器になっている。
道半ばながら、M.H.のプロジェクトマネージャーになるまでの軌跡をたどってみた。

01.情報系を専攻するも、ITに興味を持てなかった学生時代

札幌の高校を卒業して、道内の情報系大学に進学しました。ITを学びたかったというよりも、新設大学の第1期生だったことと、文科系も理科系も問わないということで希望して入学しました。

大学では、コミュニケーション論や心理学の授業は熱心に受講したのですが、数学やプログラミングの授業はさっぱり理解できなくて、正直に言えば興味を持てませんでした。それで、どんどん取り残されていってしまったのです(笑)。何とか進級し、卒論では教育分野へのIT活用として、子供が遊びながら異文化を理解するアプリを作りました。

就職活動に対するモチベーションは高いとは言えず、「卒業したら、どこかに勤めたい」と漠然と思っているだけで、志望する業種を絞ったり、特定の企業を目指したりといったことはなく、説明会に参加してもピンとくる会社はありませんでした。そして、縁あって当社に入社しました。

02.研修で、初めてプログラミングを理解する

入社後、新入社員研修を受け、ITについて一から教えてもらい、大学時代に理解できなかった多くのことが、やっと理解できました。研修を終えると、ビジネスソリューション事業部に配属になり、日本酸素のプラントの製造システムの担当になりました。製造工程の管理、従業員の勤怠、経理など、工場のあらゆるシステムを保守し、問い合わせに答える仕事でした。

3年ほどして、TNソリューション部に異動になりました。今度は、安定同位体を扱っている日本酸素SI事業部の販売管理システムの再構築に、プログラマとして取り組みました。

システム開発においてプログラマの役割は、一般的にはSE(システムエンジニア)が作成した設計書に従って、プログラムを実装(プログラミング)し、テストすることです。当社では、SEとプログラマを厳密に分けておらず、実装を担当する人が設計から作業する事も多くありますし、案件が小さい場合は実装者が設計も要件定義も行うこともあります。若いうちから幅広い役割を経験できる機会があることは、大企業ではなかなかないので、当社の特徴の一つといえます。

プログラマとして仕事に励んでいると、再びビジネスソリューション事業部に異動になり、銀行系の情報システム会社に派遣されることになりました。現在当社は、日本酸素グループの仕事がメインで、派遣は行っていないのですが、当時は多い時には社員の3分の1近くが社外で仕事をしていました。

03.サブリーダーになり、仕事に対する意識に変化が

入社後7年が経ち、銀行系システム会社に派遣当初はプログラマだったのが、サブリーダーを任せられるようになりました。私にとって初めてのサブリーダーです。仕事の幅も広がり、自分のプログラミングの仕事に加えて、リーダーの補佐としてプロジェクトの進行に気を配ったり、遅れそうなメンバーがいたらケアしたりといった、チーム全体のことを考えて行動するようになりました。

サブリーダーを務めたことで、私はいろいろな面で成長したと思います。仕事に対する意識が変わり、プロジェクトの遅延につながりそうなことに敏感になり、常に対処法を考えておくようになりました。

プログラマの時は、頑張って仕事をしていても「言われたことを、今までのやり方でやって、決められた日に間に合えばいい」という受け身の姿勢でした。「これをすると、次に何が起こるのか」「今よりもっと良い方法があるかもしれない」といったことは考えもしませんでした。

私の意識や姿勢が変わったのは、派遣されたシステム会社で他社の人たちとチームを組んで仕事をすることで、彼らの仕事に取り組む態度や意識の高さが刺激になったためです。その現場で、自分がサブリーダーを任されたわけですから、大きな自信を得ました。

04.初めてのプロジェクトマネージャーで、失敗から大きな学びを得る

2015年、システムソリューション部でグループ会社の魔法びんメーカー、サーモスの営業支援システムを担当することになりました。営業担当が商品の販売にあたる目標を立てたり、お客様から受けた注文をパソコンで報告するシステムを作るプロジェクトでした。ちょうどその頃、当社ではJava EEという新しい仕様のフレームワークの導入を決め、私のプロジェクトがJava EE初採用のひとつでした。

このプロジェクトを通じて「自分が任されたプロジェクトでも、一人で仕事を抱え込んではダメだ。メンバーや関係部門と連携をして、取り組まなければならない」ということを思い知らされました。1年後、同社のシステム部門から、今度はスマートフォン向けの営業支援システムを依頼され、そこで、私は初めてプロジェクトマネージャーを命じられました。

取り掛かってみると、これが大変でした。この時のスマートフォンのプロジェクトは、外部のウェブデザイナーが作成した最新のデザインを使うという条件があり、とても苦労しました。デザイナーからウェブブラウザ用のデザインを受け取ってJava EEに置き換え、スマートフォンに入れると、サンプルでは動いていた画面が、うまく作動しないのです。

その原因調査と解決方法を探すことに時間をかけ過ぎて、次の工程になかなか進めないことも問題でした。結局、開発部門の人たちに相談して、手伝ってもらうことでようやく解決したのですが・・・。完成したときは、喜びよりも「やっと終わった」という安堵感のほうが強く、「もっと早い段階で助けを求めるべきだった」と反省しました。

解決に手間取り、スケジュールや見積りの見直しで、上司にもお客様にも迷惑をかけました。サンプルを入手した段階で検証をしっかりしておくべきだったのに、簡単に済む仕事だと判断してチェックを怠った私のミスです。反省すべき点が大きく、決して成功事例とはいえないプロジェクトでしたが、学んだことはとても大きかったと思います。

05.仕事はチームで助け合い行うもの

プロジェクトマネージャーになって、噛みしめるように分かったことがあります。それは、仕事を早く正確に進めるために、様々な人の力を借りることの大切さです。仲間は必ずサポートしてくれるので、課題を自分の力だけで解決しようとせず、手助けを求めることが必要です。

そういう意味では、プロジェクトマネージャーは、自分で仕事をしようとしない方が良いのかもしれません。リーダーが忙しくて身動きが取れないと、メンバー全員の動きが止まってしまいますから。プロジェクトはチームで行うものです。優秀なマネージャーは、プロジェクト全体の進行やメンバーの状況に常に気を配っています。私はまだまだ半人前ですが、見習うべきところです。

これからは、チームで強くなっていきたいと思います。全員でスキルアップして、何か問題が生じても、誰かがカバーできるチームを作りたい。そして、「M.H.のチームに任せれば、心配ない」と言われるようになることが目標です。

学生の皆さんは、「プログラマやSEの仕事はハード」というイメージを持っているかもしれません。しかしお話ししたように、仕事で失敗やつまづきがあっても、周りの人が必ず助けてくれますから大丈夫です。ですから、多くの人に当社の採用にチャレンジして、当社ならではの仕事の醍醐味を味わってほしいと心より願っています。

プロフィール

M.H.

2005年入社/
システム情報科学部 複雑系科学科 卒

北海道出身。「趣味はボクシングの観戦と、無名だけど実力のあるロックバンドをライブハウスに聴きに行くことです」

取得している資格

  • 基本情報技術者試験
  • 応用情報技術者試験
  • Oracle Certified Java Programmer, Bronze SE7
  • Oracle Certified Java Programmer, Silver SE7
  • ITIL Foundation
  • 日本商工会議所簿記検定3級

キャリアパス

2005年
ビジネスソリューション事業部
2008年
TNソリューション部
2012年
ビジネスソリューション事業部
2013年
システムソリューション部
2013年
ソリューション本部 システムサービス2部
2019年
管理統括部 プロジェクト監理部 プロジェクト監理課長
2021年
現職